思い出したこと

難波里奈さん著『純喫茶コレクション』の改訂版が初版から10年ぶり文庫化とあり購入しました。初版は2012年3月PARCO出版発行、今回は河出書房新社からの発行です。それを知って、山之内遼さん著『47都道府県の純喫茶』(2013年11月発行)の改訂版の発行(2020年6月)を思い出しました。著者が逝去され、掲載店の文章の変更なしの異例とも思える改訂版でした。10年振りの文庫化は『47都道府県の~』の売行きや評判、昨今の純喫茶ブームなどを鑑みた結果なのかもしれません。ですが、これから書くのは本の感想ではなく、個人的な駄ネタです。最後まで読んでも面白いことはないので、以下はお暇な方だけどうぞ。

難波さんが手掛けた最初の単行本、『純喫茶コレクション』の書名はご自身が運営するブログタイトルから名付けられています(「純喫茶コレクション」FC2ブログ、2008年より投稿)。以前からの純喫茶ファンや難波さんのファンの方々は「純喫茶コレクション」の前身のブログをご存知かもしれません。ブログタイトルは「美味しいレトロ散策日記」(ブログタイトルがややうろ覚えで、すみません)。こちらはYahoo!ブログで2005年より投稿がありましたが、2019年12月サービス終了により削除、現在閲覧不可です。

「美味しいレトロ散策日記」はとくに純喫茶の投稿に反響が大きかったとみえ、2008年3月には純喫茶関連の投稿に絞った「純喫茶コレクション」ブログが開始されました。新規投稿に加え、2005年から2008年までに投稿された純喫茶関連記事は「純喫茶コレクション」に転載されました。

なぜ、削除されたブログの内容までも時系列を追って記載するのか? この後書くことと関係するのですが、もうひとつは私が2006年から喫茶店通いを始めて以降、紙、ネット問わず都内を中心とした喫茶店情報をチェックし続けているからです。雑誌『東京生活』2007年6月号の特集記事「東京純喫茶」もそのひとつでした。その頃の喫茶店特集といえば有名店(例えば神保町・さぼうる、本郷・万定フルーツパーラー)など、幾度も掲載経験のある喫茶店の紹介が多かったのですが、この特集では過去未掲載だった喫茶店が多く、興味を引かれました。記事を読み進めて御徒町の松坂屋の傍にあった「純喫茶・渚」(2007年閉店)の記事を読んだとき、気になったことが2つありました。

1つは文章と掲載写真の組合せに違和感があったことです。コピーには「海の底のような、青い店内でおいしい珈琲や生ジュースを」とあります。本文にも「ふかふかでゴージャスなソファをはじめ、ブルーを基調にインテリアがまとめられた店内は、ほの暗いカウンターに並ぶカップ達も薄いブルーを反射して、本当に海の中にいるようだ」とあります。魅力的な内装を文章で表した一方で、不思議なのが内装写真が載っていないことでした。マスターらが写っているカウンター、ジュースのグラス、コーヒーカップの写真は載っているのですが……。渚の記事は1頁掲載なのに肝心の客席の内装写真を載せていないのは何故でしょうか?

『東京生活』2007年6月号掲載「純喫茶渚」の記事より

もう1つは「海の底」という表現にどこか見覚えがあったからです。私はすぐに難波さんのブログにあった「純喫茶渚」の投稿を思い出しました。ブログには「海の底みたいだ、と思った。 椅子が青くて、窓にかかる白いカーテンは、打ち寄せる波のようだった。」とあります。文章の引用は2008年の「純喫茶コレクション」(http://retrocoffee.blog15.fc2.com/blog-entry-6.html)からですが、「純喫茶渚」の投稿は「美味しいレトロ散策日記」からの転載(2005年ないしは2006年頃投稿)で、「海の底」という表現も当時からあるものでした。

というのも、私は難波さんのブログを知る前で雑誌の発行前に純喫茶渚に行ったことがあるからです。「渚」は当時の勤務先から近く身近な喫茶店でした。私の渚に対する感想は、おじさんが集う、おじさんの店でした。店内のテレビは週末の日中は競馬中継を流し、夜は野球中継に切り替わり、中高年の男性が好みそうな雰囲気でした。その後難波さんのブログを読んだとき、喫茶店の店内を「海の底」に例えた表現が詩的で深く記憶に残りました。同じ店に行ってもこうも視点が違うものかと。

2005~2007年はTwitter、InstagramなどのSNSは日本でのサービス開始前か、開始して間もない頃でした。個人の投稿はブログが主流で、喫茶店関連では閲覧数が多く影響力のあるブログの1つが難波さん運営の「美味しいレトロ散策日記」だったと個人的に思います。有名店だけではなく、旅行先や都内を中心とした路地裏や私鉄沿線駅前の喫茶店の投稿も多く、内装写真の投稿とその雰囲気を独自の比喩表現で表していたのが特徴的でした。一方、前述したように、商業誌(雑誌、ムック、単行本など)で取り上げられる東京の喫茶店は有名店であることがほとんどでした。

編集後記と奥付で確認したところ、特集記事の担当は木村悦子さんという方でした。後記にはこのようにあります。「純喫茶はライフワークですから、一式担当させていただきました。取材のお願いで珈琲飲んで、取材でカメラマンと珈琲飲んで、原稿をお届けしたら珈琲ごちそうになって、楽しき日々(以下略)」(木村)とあります。この言葉通りライフワークであれば、木村さんは精力的に純喫茶渚をはじめ各喫茶店を取材したことになりますし、編集者であれば、難波さんのブログは当然知っていて目を通しているはずだ…と私は思いました。調べたところ、木村さんは交通新聞社、枻出版社などの出版社勤務を経て、現在は編集プロダクションを創業されています。

難波さんと木村さんは感性が似ていて、同じような表現になったのでしょうか。「純喫茶渚」はそれほどまでに海を連想させる内装だったっけ?と気になったのですが、再度確かめに訪れることができませんでした。雑誌の発行から約4か月後の2007年9月頃に渚は閉店したからです。閉店に寄せての貼り紙には長年店を経営してきたことや、お客さんへの感謝をしたためた文章が綴られていました。その貼紙も秋の台風で一部が剥がれていたのを思い出します。それから15年が経過しました。

思えば、喫茶店などの飲食店の感想の投稿については、ブログが主流だった時代(約10年前)は「誰が」「最初に」その店を取り上げるのか、が大変重要でした。先に取り上げた方は「私より後にお店の紹介をした人は私のブログを拝見した」と典拠(ネタ元?)を明らかにしてほしい、とブログで発信する方もいました。現在はSNSが主流ですが、このような「先行投稿者へのマナーと配慮を重んじる」風潮はいまだ健在かもしれませんね。私は2008年7月からブログを始めましたが、その風潮を感じる場面もたびたびありました。しかし、言うまでもなく真っ先に配慮するのはブログの書き手ではなく、店舗の経営者と常連客です。過去に自分のブログでも話題にしたことがあります。

一方、表現はどうなのでしょうか。表現が似ているとか細かすぎる指摘、当事者でもないくせに、一言一句同じではないので法的に問題ない、良い作品を上手に模倣するのはプロとしてのやり方の一つ、等々、色んなご意見が聞けそうですが……。ブログ、雑誌両方の読者として、またお店の存在を身近に感じていたものとしては、気になっていたのですよね。お店に対して似たような思いを抱いたとしても、被らないようにする配慮が商業誌として必要ではないかということ。また、意図せず被ることのないよう表現をチェックすることも必要ではないでしょうか。同じアングルの写真、似たような表現だと新鮮味もないし発見もないですし。事実関係はどうあれ、難波さんの文章を読んだライターが取材候補先としてチェックし、渚に取材を申し入れ、難波さんの投稿をブラッシュアップした記事を書いただけのように見えるのですよね。それに、たったひとつの記事がそのように見えたとき、他の記事も同様に見えてしまいます。新たな気付きや情報を追加して読者が楽しめるような工夫をするのが、プロのライターや編集者の役割だと私は考えています。

15年間温めていたネタをようやく文字にできてスッキリしました。ここまでお読みいただきありがとうございます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました