国鉄民営化後、JRが運営していた喫茶店

上野・紅や 東京都

地元にいた頃の交通手段はバスと自家用車がメインで、滅多に電車には乗りませんでした。国鉄民営化もバブル崩壊も続けざまに訪れたという記憶はありますが、親の仕事はバブル景気には関わりなく、子どもの頃はどこか遠くで起きている騒ぎのように感じていました。1989年に発行された『喫茶店経営』の情報欄にはJR各社、あるいはJRの子会社が新しく手がける飲食店・喫茶店事業を報じた新聞記事がいくつか転載されているのが目にとまりました。この前年(1988年)に民営化したんだっけと思いながら、下書きフォルダの記事を思い出しました。

以下の内容は数年前に元国鉄の運転士さんから聞いた話です。聞いたままですが、記憶違いや聞き間違いがあるかもしれませんのでどうかご了承ください。また、自分が詳細を理解できていないことから、国鉄民営化にまつわる諸問題からの観点については触れていませんので、ご容赦ください。また、ヘッダー写真はお弁当屋さんでJRが経営していた喫茶店とは関係がありません。

国鉄が民営化したのは1988年。リストラ後も多くの人員が余ったので職員は鉄道事業以外で「外貨を稼ぐ」ため、多くの車掌や運転士が配置転換や出向を余儀なくされました。ある同僚は駅ソバ屋で働き、その方も上野駅構内の喫茶店で働くことになりました。当時上野駅は北への玄関口として機能しており、東北方面の特急列車や新幹線は上野が発着だったため駅構内の店は繁昌しました。急ごしらえの店舗でガスコンロを引けず本格的な調理が出来ない環境でしたが、店内でサンドイッチを調製し、レンジ調理で温めた軽食を提供するなどして工夫していました。そして店舗の経営に本腰を入れようと調理師免許を取得したそうです。

ところが2、3年後に運転士不足で現場に戻ることとなり、店の経営は民間に委託されましたが、結局創業から約5年で店は閉店となりました。閉店に至った大きな理由は、新幹線や特急列車の発着が上野駅から東京駅に変更され、人の流れが変わったことだったそうです。元喫茶店があった場所には現在休憩スポットとなっており、店が在ったような痕跡は残っていません。喫茶店があったことを知る人も少ないだろうと語っていました。

ほんの30年前、社内で生き残りを掛けてある人は配置転換、ある人は出向、ある人はリストラ、壮絶な道を歩んできた人たちがいた、とその方は言いました。当時は国鉄に対する風当たりが強かったので、思うように声を上げられない人も多くいたそうです。

上野駅周辺で昔から変わらないものがありますか、と訊ねると「紅や」と回答されました。昭和通り沿いにある早朝からお昼過ぎまでの弁当屋です。そこのお弁当を「ベニベン」と呼ぶ人もあったとか。JR上野駅の運転士で知らない人はいない弁当屋だそうです。上野が始発駅だった頃は紅や以外にも弁当屋が沢山あって、でも中にはまずくて酷い弁当を出す店もあったそうで・・・・・・。当時、紅やさんは繁盛し、社員旅行がハワイだった時もあったらしいとのこと。現在、あの辺りに紅やさん以外の弁当屋は見当たりませんが、お昼どきはひっきりなしに近隣の勤め人が訪れていました。なかにはJRの制服を着た方もいらっしゃいました。混んでいても、必ず包装紙(某百貨店の包装紙デザインに若干似ている)で弁当をくるんでくれます。揚げ物中心のちょっとジャンクなおかずに箸休めの明太子パック。このボリュームと味は昔から変わらないそうです。(追記:2023年12月現在、紅やは休業中)

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