『地下街への招待 B2』を読んで
Towersさん(@towers1961101)制作の冊子『地下街への招待 B2[特集]元町有楽名店街』を購入しました(通販サイト)。冊子では繁華街のビルや駅周辺の地下商店街を「地下街」と呼び、その魅力を豊富な写真で紹介しています。冊子に掲載された地下街の多くは高度経済成長期にモータリゼーション対策や駅前再開発事業を理由に新設されましたが、近年は建物の老朽化や修繕費等の問題により少しずつ姿を消しつつあるそうです。
道行く人に地下街の存在を示し、地下街へ誘導するためには目を引くサイン看板が必要でした。サイン看板のデザインに惹きつけられたTowersさん。地下街の入り口を示す看板やサインの「下向き矢印」をはじめとする看板デザイン、アプローチとなる階段部に設置された照明などは地下街へ誘う「吸引力」であると説明し、数多の写真にて地下街の看板・サインの魅力を紹介しています。
冊子では数年をかけて訪れた全国各地の地下街21カ所+αの写真が掲載され、地下街の店舗の紹介や店主のコメントも掲載しています。バーのマスターやスナックのママさんの言葉にはそのお店のアットホームな雰囲気が想像され、自分も地下街を探訪している心持ちになります。なかでも興味深かったのが山梨・甲府の春日ビルの地下街で唯一営業中のバーを訪ねたレポートです。私自身も数年前に昼間の春日ビル内部を見学していますが、地下に続く階段は時間外のため真っ暗で、店舗の確認を断念していました。また、阪神元町駅の有楽名店街ページは大変充実した内容です。現地取材を重ね、新聞記事を含む多くの資料を基にした解説が掲載され、地下街の成立から変遷、店主たちに聞いた昔の有楽名店街の話から、近年の明け渡し訴訟に関する経緯が詳細に綴られています。
開業当時の阪神元町地下・有楽名店街
記事を読んで阪神元町駅の地下にある有楽名店街に興味を持った私は、もう少しこの地下街のことを知りたくなりました。以下は『地下街への招待』の読了後に資料を検索して書いた内容です。私自身は有楽名店街を一度も訪れたことがありません。資料のみを参考に書いたものであることをご承知おきください。
『地下街の招待』には店舗名と業種一覧が示された有楽名店街開業時(1959年)の新聞広告が掲載されています。広告掲載の全38店舗中、日本酒スタンド、洋酒スタンド、バー、お茶漬けスタンドなど飲酒できる店は24店舗で飲み屋街としての雰囲気が濃かったことがわかります。『歴史と神戸』1963年3月号では「神戸の新名所 有楽町で逢いましょう!」という見出しで『紳士読本』1962年11月号に掲載された有楽名店街の紹介文の一部を掲載しています。「(前略)『大阪で儲け、阪神沿線に住み、神戸で遊べ』といわれるほど神戸は遊びどころだそうだ。国鉄元町の地下をおりると有楽街という地下の街に出る。映画のセットにあるようなスタンドバーが約50軒、向かい合って並んでいる。どの店も気持ちがよい豊じゅんな灘の酒を、安く飲ませるのが特徴だ」。『地下街への招待』では有楽名店街の名称がフランク永井のヒット曲「有楽町で逢いましょう」を連想させると書かれていますが、こちらの記事の見出しも曲名を連想させて付けたと考えられます。「映画のセット」の表現からは店舗が整然と並ぶ様子を想像します。『地下街への招待』では新聞掲載された開業時直前の有楽名店街の写真も掲載されています。
銘店街としての一面を持っていた?
有楽名店街開業時の新聞広告からは、瓦せんべいの菊水(神戸駅前の総本店は2022年3月閉店)、和菓子の伊勢屋(本店は姫路)、洋菓子のヒロタ(現在本社は神戸元町から東京に移転)、ロシア料理のハナワグリル(神戸元町にあった本店は2020年3月閉店)といった、地元の銘店が出店していたことがわかります。現在も駅ビルに地元銘店が出店することは珍しくありませんが、開業当初からスタンドバーが数多く並んでいた有楽名店街でも同様であったことが興味深いと思いました。なかでも洋食の老舗・ハナワグリルが出店していたのは驚きでした。店舗内部の写真を見た感じでは、1コマはさほど広くないように思えるのですが…(追記:店舗の面積に関して著者のTowersさんから頂いたご指摘をいただきました。有楽名店街は通路を挟んで左右に店舗が並びますが、左右で坪数が異なり、一方の側は坪面積が約20~30坪程度で、バックヤードに調理場が設置されているので、調理に不都合はなく、手の込んだ料理も提供できていたと思いますとのことです)。『味・そぞろある記』(仲郷三郎編、のじぎく文庫、1960)では「(ハナワグリルは)近ごろ阪神元町駅地下の有楽街へ支店を出したが、やはり本店まで足を運ぶがよい」と薦めており、支店に関する詳述は載っていませんでした。その他、新聞広告には店名が載っていませんが『地下街への招待』には「東京そば 正家」も有楽名店街に出店していたとあります。以前、有楽名店街で寿司店を経営していた方のインタビューによると、正家があった場所に寿司店をオープンしたそうです。『神戸うまいもん』(1960)にも「正家」が有楽名店街に分家を出店したこと、看板メニューの蕎麦のほか、きしめんも提供していたと書かれています。
ハナワグリルについて
ハナワグリルは兵庫県私学会館で2020年まで営業していた洋食・ロシア料理の老舗です。有楽街が完成した1959年当時、本店は花隈駅近くにありました。店主の花輪氏は戦前は横浜や東京のホテルでフランス料理を学び、その後ハルピンのホテル勤務時代にロシア料理を覚え、戦後神戸に引揚げて洋食店を開いた方で、リ・デ・ボウ(子牛肉料理)、マルセイユ風ブイヤベース、ボルシチなどのロシア料理を含む本場の洋食を比較的安価に食べられる人気の店だったそうです(『神戸うまいもん』毎日新聞神戸支局編、神戸近代社、1960、『神戸味覚地図』創元社、1963)。有楽街の支店ではカレーやボルシチなど手軽なメニューを中心に提供していたのかもしれません。
お好み焼・日本酒の「たこつぼ」は「蛸の壷」のこと?
そのほか、新聞広告に掲載された店名で気になったのが、お好み焼・日本酒の「たこつぼ」です。最初は三宮・生田筋の明石焼の老舗「蛸の壷」のことかと思いました。しかし屋号は「たこつぼ」で「蛸の壷」ではないし、代表的メニューがたこ焼きでもないため別の店なのだろうか…?。「蛸の壷」は1953年開店のたこ焼き(明石焼)の老舗です。
1点気になる記述を見つけました。『神戸うまいもん』(1960)では国鉄元町駅南側路地にある「たこつぼ」の名物料理としてぎょうざとたこ焼きを紹介しています。中国帰りの夫婦が経営するたこつぼでは「ぎょうざは皮から一枚ずつ手作り、手間がかかるが皮に力があり味を深めている」、たこ焼きは「焼き上げて、木の台に並べて出すが、ダシに浮かせた三つ葉のにおいが、食愁をかきたてる」とあります。「蛸の壷」の初代経営者は中国からの引揚げ者で、現在もメニューにぎょうざがあるため、『神戸うまいもん』で紹介された「たこつぼ」は「蛸の壷」の可能性が高いと考えられます。しかし「たこつぼ」は単なる店名記載ミスなのかもしれません。というのも店舗の場所は国鉄元町駅南側路地とあり、地下街ではないからです(『神戸味覚地図』、『神戸っ子』2006年2月号など参照)。新聞広告との共通点が店名のみで、店舗の場所やメニューも異なることから別の店だったと思います。
戦後比較的早い時期に成立した地下街
有楽名店街は地下街としてはどのような位置づけだったのでしょうか?『Subway-日本地下鉄協会報』1986年5月号の「日本全国の駅直結型の地下街一覧表」では地下街の名称、竣工年月、延面積が掲載されています。兵庫県の項目では神戸新聞会館秀味街、メトロこうべ、さんちかタウン、サンこうべ、メトロ神戸新開地タウン、大橋地下街、姫路駅前地下街とともに阪神元町地下有楽街が載っています。有楽名店街は秀味街(竣工1956年)に次いで古い地下街として、現存する兵庫県内の地下街としては最も古い地下街であること、全国的にみても戦後の比較的早い時期に設立した駅前地下街として認知されていたことがわかります。
喫茶店に関することを主に書いているこのブログですが、今回はほぼ喫茶店とは関係ない話になってしましました。無理やり喫茶関連に触れるのなら、前述の新聞広告にある店舗、喫茶キャビンしかありません……。『歴史と神戸』1963年3月号に掲載の広告では「ステレオ高級喫茶 キャビン」とあります。飲み屋の多い地下街とはいえ、もう1、2店喫茶店があったのかもと思いますが、今のところ確実にあったと言える有楽名店街の喫茶店はこの1店のみです。
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