広島・基町の園

園・外観 中国地方
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東日本大震災の翌日、広島・基町の団地(基町高層アパート)を訪れました。紙屋町にある広島そごうの北方面、中央公園の奥に位置する公営(市営・県営)団地群です。
団地の歴史や建築に関しては広島の建築物をまとめた「建築マップ」というサイトが大変詳しく、旅行の前には大いに参考にさせていただきました。そのサイトとWikipediaの説明によると、敗戦後のバラック建設から発展した木造住宅密集地帯は「原爆スラム」と呼ばれており、その後相次ぐ火災から土地の再開発事業が1960年代に持ち上がり、10年の歳月をかけて団地が完成したそうです。

園・外観
園・外観

低層群と高層群に分かれたアパートが建つ広い敷地内には小学校や幼稚園、交番、ショッピングセンターもあるそうなのですが、ひとつずつ確かめていたらとても時間が足りないので、興味の赴くままに歩いてみました。
団地の数ヵ所に点在している商店街には畳屋、水周りの工事を行う工務店、学習塾、美容室、酒屋、食料品店、お惣菜屋、お好み焼き店まで実に様々な業種の店舗があって驚きました。団地の西側の太田川沿いの県営住宅の近くには銭湯「平和湯」と数店の商店が建ち並んでおり、喫茶店の看板もありました。思いもよらないことでした。
プラスチックのドアを開けると、店内にいたのはマスターお一人。コーヒーを注文すると、おかきとお茶をサービスしてくれました。きさくな方で、突然現れた余所者の自分にも、いろいろと話しかけてくれました。
「かなり長くやっているお店なんですか?」と尋ねると、「団地ができる前から営業しているから、45年以上やっています」とのことでした。元々マスターのお母さんが経営していたそうですが、3年前に亡くなられたため、息子さんが後を継いでいるそうです。「やめようかと思ったけれど、『やめないで』と来てくださるお客さんがいらっしゃいますから」。
原爆資料館の展示を見て、かえって戦前の広島を全く知らなかったことに気づきました、と話すと、店の奥からわざわざ本を持ってきてくださいました。戦前・戦後の広島の写真や文章を集めた本で、マスターのお母さんの蔵書とのことでした。「みんな原爆で燃えてしまって、広島には古いものがあまりないんですよ」 マスターは戦後生まれだそうですが、被爆して戦後若くして亡くなった身内の方のことを話してくださいました。
立ち入ったことをお聞きするきっかけをつくり、大変うかつだったことを謝りましたが、マスターは淡々とされていました。祖父母の代に戦争体験があるのと同様、広島出身の方に原爆体験があるのは当然なのですが、あまりにも想像力がありませんでした。
店を出て太田川の河川敷を歩いていると、被爆した樹木の碑など、原爆に関連した碑をいくつか見つけました。原爆投下の日、この川で亡くなった数多くの命と昨日発生した大震災、津波で亡くなった人のことを思い、夕陽色をした川面を見ていました。

上記は2011年5月、旧ブログにアップした内容を再掲載したものです。

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