チンチン電車が走る町のカフェ

キュービックポイント外観 近畿地方

「商業建築の儚さが好きです」
入店して5分と経たないうちに口が滑ってしまいました。お店の方はカウンター越しに苦笑いを浮かべています。
帝塚山のカフェ「キュービックポイント」は41年前の開店時の頃いくつかの雑誌に取り上げられていました。当時雑誌に掲載された喫茶店の多くは現在閉店して跡形もないか、そこがテナントであれば別の店舗に変わっているかのどちらかです。当然のことながら、ビジネスモデルが古くなれば閉店するか業種変更しています。
当時スタンダードだった喫茶店の内装やサービス提供のあり方が、郷愁を憶える装置としてメディアに注目されてから10年程経ちます。私自身はメディア等でレトロと呼ばれるような喫茶店自体は好きでも、レトロのみに注目しているのはあまり好きではありません。現在の価値基準から見て珍しく、面白いかどうかで画を切り取り、それに似合うフレーズを付けることが現在の「流行」で、消費されている情報のように感じるからです。
その時代を知らなくても、新装開店当時と同じ価値基準で内装の良さを評価できるように努めたいし、そのお店を維持してきた人たちやそこで過ごしてきた人たちの時間を感じ取りたい。一方で、時代の流れに寄り添うことが難しくなれば喫茶店は消えていくのが自然だ。言い訳が長くなりましたが、上述の「儚さ」の言葉の意味はこんなところでした。

キュービックポイント内装

しかし、実際に私がしたのは慌てて話題を変えることでした。この辺りはこんな立派なお屋敷街だとは知りませんでした、と話を振ると、宅地開発が始まったのが大正時代で、その頃に作られた蔵を利用し喫茶店をオープンしたのが1978年だったそうです。ジャズ喫茶としての一面も持っていたとのことですが、その日はとても静かでした。
蔵の中は夏はひんやり、冬は暖かいという話を聞いたことがあったので尋ねてみたところ、「いえ、採光のため前面を窓にしたので西日が差して夕方は暑いんですよ」とのことです。窓際の席からは犬の散歩をする女性の姿が見えました。帝塚山は高級住宅街ではありますが、住民以外は足を踏み入れられないような雰囲気ではなく、路面電車が走り、天王寺が近く、庶民的な感じというと言い過ぎになりますが、お屋敷街にしては何となく親しみやすさを感じます。
お店の人の話では、帝塚山には村野藤吾が携わった建築もあったそうですが、少し前に取り壊されたそうです。この辺りでは象徴的な建物で、なくなったのは残念だと語っていました。相続問題や老朽化などで帝塚山の住宅街も少しづつ景観が変わりつつあるそうです。
店を出て、外から建物を眺めました。阪堺電車の軌道沿いに店があるため、車内からは外壁に書かれた屋号がよく目立ちます。今では色が褪せていますが開業当時はもっと目立っていたはずの文字。開店当初、通行人や近所の人にはどのように映ったのでしょうか。近年蔵を改装した店舗は珍しくありませんが、当時は大胆なリノベーションだったのかなと思いました。

キュービックポイント内装2

キュービックポイント
大阪市住吉区帝塚山東2丁目

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