(お断り:2022年の訪問時に下書きして未公開記事だった内容を加筆・訂正しています。年代などは変更していませんのでご了承ください。また、2023年12月に開催したイベント「ミニパネルとマッチ箱展示 元喫茶室・三つ扇で振り返る八重洲周辺の喫茶店」)でも触れた喫茶店でもあります。)
「中野にもペリカンパンを出す喫茶店があるんですよ」と地元の古道具店のご主人が仰っていたのはもう6年ほど前になるだろうか。その店をネット検索すると京橋にあったばらーどが移転して営業を続けていたことを知った。一軒家の1階を改装して作った喫茶室らしいが、京橋時代とは異なり雰囲気が上品そうで、行くのをためらっていた。
最優先事項で行かなければ、と思ったきっかけは、約50年前のばらーどの取材記事を読んだことだった。たしか上野に店があった頃の記事で、カウンターのみの喫茶店だが、オフィスワーカーに愛され、久しぶりに来店した客も変わらないコーヒーの味にほっとしたと書いてある。ばらーどは秋葉原(外神田)で創業し、その後上野、京橋と移転を繰り返し、現在は中野と高円寺の中間地点に自宅兼喫茶室として移転・開業した。過去に数回メディアの取材を受けているため移転等を含めお店の歴史をご存知の方は多いと思う。私も以前、ばらーどの取材記事(京橋時代)を読んだ時、「京橋の地で長年営業してきたと思いこんでいたがそうでもないんだ」とちょっと肩すかしだった記憶がある。しかし、マスターとママは京橋時代から熟年層だったはずだ。現在は息子さんが店に立っているのだろう。

昼をやや回った頃に伺ったが、店内はほぼ満席だった。引き戸を開けると、店内はママ友グループ、2人客、1人客など、近所から来たような雰囲気の人々で賑わっていた。一瞬だけおしゃべりが止むと、すぐ元に戻った。カウンターに立つ人は初代のマスターで、ウエイターは奥様だった。驚いて、コピーしてきた取材記事にあるマスターの顔写真とこっそり比べてみる。同じ方のように見えた。創業年から計算すると50年以上営業していることになる。
こちらの卵サンドは東京ではちょっと珍しい卵焼き。通気性の良いカゴに載せて提供される。最後に食べてから10年以上経ったので、昔の味は思い出せないけれど、サンドイッチの端正に揃えられた断面やコーヒーシュガーとグラニュー糖2種類のシュガーポットは覚えている。モーニングセットのサラダは缶詰のアスパラガスや湯むきしたトマトが丁寧な仕事でおいしかった。毎時ゴーンゴーンと鐘を鳴らす振り子時計、間接照明、彫刻が施された椅子など、見覚えのある調度品が並んでいる。客層も立地も雰囲気も以前の店とは異なるけれど、店を仕切るマスターとママ、いつ、どの時間帯に行ってもお客がいるという点は変わらない。
思い切って話しかけてみると、調度品は京橋時代からのものを使っているとのことだった。昔の記事を見せると喜んでくださり、昔の写真をパネルに貼り付けたものを奥から出していただいた。マスターはシャツに黒いベストを着用していて、昔の写真のいでたちとそう変わらない。昔、京橋時代に何度かモーニングセットを頂いたが、とてもおいしかったですと伝えると、モーニングは今もやっているんですよとのことで、午前中に再訪したいと思いながら、店をあとにした。

それから4年後。随分あいだが空いてしまった。マスターも奥様も動きがゆっくりに見えるが、現在も9-17時の営業時間を変更していない。閉店が迫った時間帯で、近所の方々が一人で訪れていた。マスターはお客が途切れると店の前にある庭の手入れを行っていた。今回は秋葉原(外神田)時代の記事が見つかったのでお見せしたのだが、奥様は曖昧に微笑まれただけだったので、これ以上はこの話をしないほうがいいような気持ちになった。そういえば、ばらーどは野方に移転してからはほとんどメディアの取材も受けていなさそうだった。ローカルなタウン誌やウェブメディアでは取材を受けたことがあるかもしれないけれど。本当に素敵な店だけど、マスターも奥様もご年配だし、そっと見守ってほしいのかもしれない。帰り際にお店の紹介を簡単にまとめた手づくりのチラシをいただいた。そこには「昭和41年より神田(外神田)で11年、上野で11年、平成元年京橋へ移転して26年営業してまいりました。」とある。今年で60周年。節目の年なんだなあ。今度はあいだを空けずに、今度こそモーニングセットを食べにうかがおう。できるだけ早くに。
【追記】以前お店の外にあった貼り紙には「昭和36年有楽町メッカで修行し、昭和41年秋葉原(外神田のこと)で開業、チモトコーヒーから単品で豆を取り寄せ、粃を取り除き、コロンビア、モカ、ブラジル、ガテマラの4種類を配合して豆を挽いています。京橋の再開発に伴い野方にある自宅を改装し、懐かしい昭和の雰囲気でコーヒーを愉しんでいただくために開業しました。パンはペリカンのパンを使用しています。(主旨要約)」とあった。有楽町のメッカという店はかつて有楽町駅ほど近くにあったスバル座などの映画館の周囲に形成された飲食店街、スバル街(三菱地所:有楽町の歴史 参照)で営業していたコーヒー店だった。『珈琲ものがたり』(寺下辰夫著、昭和42年)によれば、「小さなコーヒー店だが、ここぐらい各国のコーヒーを揃えて、コーヒーマニアを満足させる店もない」と評している。掲載されたメッカの内観写真には円形のカウンター中央に白衣と和帽子を身につけたマスターが調理する姿が写っている。冊子『かんだ』(昭和44年5月号)に掲載のばらーどの紹介記事(秋葉原時代)では「コーヒーのうまさは一流。女子を使わないで、ソフトバーテンダーただ一人のこの店、客の前で香しいコーヒーをいれる」とあり、カウンターの中央でコーヒーを淹れるマスターと客の姿を写した写真が掲載されている。店のつくりを修行店であるメッカと同様、カウンター形式にしたことがうかがえる。京橋時代はビル2階の縦に長いフロアだったので、テーブル席が中心だった。また、同冊子によれば外神田にあった頃の住所は黒門町電停前とあったので、現在の東京メトロ末広町駅から近い場所にあったのではないかと思われる。

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